COMPANY OUTLINE
会社概要- 社名
- 田中不動産 株式会社
- 設立
- 昭和28年12月23日
- 業態
- 不動産賃貸業を中心に経営コンサル、広告、商品企画及び販売ネット関連事業等
- 本社所在地
- 東京都港区赤坂6丁目18番11号ストーリア赤坂301
- 共同所有建物
- G-4クロスタワー(銀座三越新館)
所在地 東京都中央区銀座4丁目3番7号
- 主要取引先
- 株式会社三越伊勢丹ホールディングス他
- 役員
- 代表取締役 社長 田中守彦(昭和41年慶應義塾大卒、元(株)博報堂 常務執行役員)
取締役 伊豫田緋鳥(故伊豫田敏雄夫人)
取締役 三戸正昭(昭和41年慶應義塾大卒、元日産生命(相))企画部長)
監査役 白石眞理
- 社員
- 2名
HISTORY
田中不動産株式会社の沿革江戸末期、佐倉の下級藩士の家に生まれた田中茂は苦学して、幼年期吉野金陵等儒学者の門に学び、後に中村敬宇を師とし、粟津高明等から英語を習得、横浜が貿易の中心地として繁栄を極めつつあった明治初期、横浜市中区日本大通21番地に田中茂商店株式会社を設立、鉄鋼、機械の輸入を主とした商社として成功を収めた。
田中茂は東京石川島造船所株式会社(現在のIHIの前身)の大株主となり、取締役も務めた他、横須賀商業銀行、日本植民株式会社の役員、及び市議会議員、商工会議所議員も務めていた。一方、田中茂商店の社業は大正に入っても、丹那トンネル建設時の鋼材を一手に扱う等、順調であった。しかしながら後継者と目していた田中茂の女婿、田中歌之助が早逝し、孫の田中茂雄がまだ幼少であったため、田中茂は没する直前大正11年にやむなく田中茂商店継続を断念し、商権等を役員に譲り分けて、自ら会社を解散、遺族には社有の不動産を残した。現在の田中不動産の基となる銀座の土地は田中茂商店の東京支社のあった土地の一部である。
昭和28年12月23日、田中茂雄は小松製作所会長河合良成の支援を受け、妻ハナの妹である伊豫田八重子からの出資も得て、田中不動産株式会社を設立、自身の所有する東京都中央区銀座4丁目3番8号(住所標記4丁目3番7号)に銀座田中ビルを建設、貸しビル業を開始した。
平成元年田中茂雄没後、田中ハナ、田中洋子が社長を務め、平成18年4月1日より、田中茂雄の甥であり、養子となった田中守彦が株式会社博報堂常務執行役員を退任すると同時に田中不動産社長となり現在に至る。
田中守彦は監査役の伊豫田敏雄(元大蔵省造幣局長、元青山監査法人会長)に相談の上、田中ビルの立地地所を含む周辺地域に株式会社三越他3社と共同で銀座三越新館を建設する計画に参画推進することを決定し、テナント6社との立ち退きの協力を取り付け、平成22年9月G-4クロスタワー(銀座三越新館)の落成を見るに至った。その結果、田中不動産はG-4クロスタワーの一部を持分で所有し、これを(株)三越伊勢丹ホールディングスに貸すという現在の形態となるに至った。